河内神社の沿革以前は宮脇鎮座のところ、1691年現在地に奉遷する。1804年庄屋
吉良庄蔵友松が、社殿を造営し次郎丸の氏神
日前神社(ひのくま)
の氏子を二分し豊岡前部落の者を氏子とした。
明治25年(1892)皇紀2600年(昭和16年・1941)に改築し約168年
経過していた。
部落総会で神社建築の案件は反対者の意見はなく決議されていたが、いざ
建築資金規模が具体的になるにつれ、調整には、大変苦労がありました。
計画より5年平成20年9月14日委員会も30回を数え、やっと、入札を
行う事が出来、落札業者も決まり、肩の荷がだいぶん軽くなったと、委員長
ともども安心していた矢先 請負業者のまさかの契約辞退の申し出が、
目の前真っ暗とは、こんな事を云うのでしょう。入札価格は公表され、
今さら再入札を行う事も出来ず対応に苦慮しました。
そこで、今回自分の仕事の関係でこちらの建築落成の予定に出来なくて
入札を断念されていた業者にそちらの都合に合わせますから、請け合って
戴きませんかと打診すると、心良く引き受けてもらいました。
予定より3か月遅れの着工となりました。
09年1月10日神社解体開始
解体中で向拝上の肘木(神社仏閣に使われている)裏側に160年前の大工の
名前が書かれたものが出てきました。

1月18日起工式 あいにくの天候でしたが無事終了です。

1月中に基礎工事を終え 部落敷地内にある森林組合製材所内で
木材の切り組みに取り掛かりました。通常なら宮大工2人一般大工
3人計5人で約2カ月かかるそうですが、限られた予算でグレードの
高い物を作りたいと宮大工の棟梁の希望で棟梁の奥さんともう1人の
宮大工で3か月間休日なしで作業に当たって戴きました。私も時間の
許す限り手伝いにいきました。宮大工の仕事を見る機会はそう或る
ものでは在りませんので、興味深く見させてもらいました。
4月26日河内神社上棟

上棟式 玉ぐしを奉てんする 前田棟梁

神社仏閣の軒は一般の住宅より長くその上に2重垂木となっていて重く
垂れやすいそのために羽根木を幾本も入れて支えている。写真の
丸太の部分です。

この大きな軒をしっかり支えているのが羽根木です。

河内神社建築計画より完成まで6年の歳月を費やした。氏子の皆さんの
協力と浄財の提供に感謝します。上棟時の餅まきは予算がなく、出来ないと
思っていましたが、もち米を提供してくれる方が数名在り、やる事が
できました。

提供されたもち米240キログラムすべて5台の餅つき機を使いつきあげました。
完成した河内神社2009年6月24日